がお〜

 

 見まごう事なきトラ。(やっぱりストライプ柄の服)

 

「なんだ。藤ねえか」

 

安堵の息を吐く士郎。

 

「…………」

「…………」

 

 私とイリヤは無言でティータイム続行中。

 

「し〜ろ〜、私の靴下知らなぁい?」

 

 原付のヘルメット片手に情けない表情を浮かべる藤村先生。

 士郎は溜息を吐いて、

 

「俺は知らないぞ。っていうか、そもそも藤ねえの衣類がこんなとあるわけ無いだろ」

「え〜、あるよぉ。この間だって――」

「持ち込んだのかよ!」

 

 いつの間に、と呆れる士郎に呆れた。

 

 毎日じゃないとはいえ私と桜もこの家に泊まって、顔を会わせているんだから、士郎にもそろそろ服の区別の一つぐらいも分かってほしい。

 

って、士郎にそんな技能を期待することこそ、心の税金かもしれないけど。……いや、間違いなく税金だ。

 

 

「それなら、藤村組に戻ればいいじゃない、タイガ。向こうにいくらでもあるでしょ?」

 

 と、ブックカバーの付いた本から目を離してイリヤ。

そうだ。元々藤村先生の家は藤村組だ。ここには無くても実家に一枚も無いなんてことは無いだろう。

 しかし、藤村先生は手をワキワキさせたまま、泣きそうな顔で、

 

「そ、それがね」

 

 まさか。

 

「まさか藤村先生って、脱いだ靴下を部屋に溜めるタイプですか?」

 

 努めて冷たく問いただす。藤村先生の場合はこれぐらいがちょうど良い。

 すると案の定、先生の肩がビクッと震えた。

 図星か。

 そりゃそうか。家に無いから穿いてきてないんだもんね。

 

「あ〜、もう分かったから。俺のから適当に持っていけよ」

「ごめ〜ん」

 

 嵐のように去っていく藤村先生。

 

「心優しい弟を持ってお姉ちゃんは嬉しいぞ〜」

 

 遠くから聞こえるあまり嬉しくない賞賛の声。

 

「いいから急げよ藤ねえ! もう時間無いぞ!」

 

 時計を見れば、確かに原付で出てもギリギリの時間帯だ。

 やれやれ、と溜息をつく士郎に、私は頬を緩めた。

 

「藤村先生は昔からあまり変わらなさそうな人ね」

「いや、変わってあれだから。俺的にはもうちょっと変わってほしいんだけどな」

 

 愚痴をこぼす士郎。だけど、文句を言いながらも目を細める表情はとても穏やかで、その苦笑に二人の間で培った深い絆を感じさせた。

 

 なんとなく居間に広がった淡い空気を破る玄関のチャイムが鳴り響いたのはその時だった。

 

「いいわよ。私が行くから」

 

 腰を上げた士郎を制して、立ち上がる。

 この男はどうも自分が家の家主だという自覚が薄い。もちろん良い意味でだ。

 何事も自分でやろうとする。

 いくらお金を払っているとはいえ、部屋を間借りしているこっちとしては、せめてこれぐらいさせてくれないと割に合わない。気分的にだけど。

 私は居間を出て、玄関に向かう。

 扉に格子状にはめられた木の枠から、黒いシルエットが少しだけ見える。

 どうやら客人は既に扉のすぐ向こうまで来ているようだった。

 玄関へ近づけば近づくほど、不鮮明だったシルエットがより明確になっていく。

 お客はどうやら男のようだ。ガタイは良い。身長も士郎より明らかに高い。

 扉を開ける。

 

「はい。どちらさ――」

「よぉ! 元気だったか!? 衛…み…や?」

 

 お互いが驚愕に言葉を失う。

 多分この人は今の言動からして、士郎を訪ねてきたのに私が出てきてビックリしてるんだろう。

 一方、私はというと、

 十月半ばに差し掛かったとはいえ、今年の秋は暑い。

 街に出れば薄着の人をたくさん見かけるし、家によっちゃクーラーを点けている所もあるぐらいだ。

 しかし、だからと言って、目の前に立つ男のようにだらしない格好をしても良いというわけじゃない。

 ズボンからはみ出したカッターシャツは襟元が開けられ、緩められたネクタイは、男の今の心境を如実に表している。

 左手には茶色いボストンバック。右手にはさっきまで着ていたのであろうスーツの上着と、この蒸し暑い中『1+1=田んぼの田』ぐらい間違っているとしか思えない深緑色のコートを肩に背負うようにして持っていた。

 

「衛宮君の知り合いですか?―――ちょっと待ってくださいね」

「衛宮…君?」

 

 男の人はどんなに多く見積もっても四十代半ば。不衛生な無精ひげと、ボサボサの髪を差し引いてもそんなものだろう。

 士郎にこんな年のいった知り合いが居るとは思わなかった。

 でも、あの男なら色んな事に首を突っ込んで、そのたびにいっぱい知り合いを作っていそうだからなぁ。

 

「衛宮く――」

 

 気付いたときは遅かった。

 男は、士郎を呼ぶために後ろを振り向いた私の肩を掴み、玄関へと身体を割り込ませていた。

 そして、

 

「衛ぇぇ宮ぁぁあああ!!」

 

 声だけで家を倒壊させかねないほどの声量。

 

「……は?」

 

 ワケが分からず、そんな言葉しか出なかった。

 

 お金を取り立てに来た借金取り?

 

そんなバカバカしい事が脳裏をよぎるほど、私の頭はすでにネジが一本飛ばされていた。

だけど、相手はそんなことお構いなしに声を張り上げる。

 

「出て来いやぁぁぁ!!」

 

 ますます、輩になっていく男。

 しかし、その大きな声が幸をそうしたのか、意識を引き戻された私は男の腕を掴んだ。

 

「ちょっと、貴方ね――」

 

 だが、今度もやっぱり最後まで言葉を発する事ができなかった。

 男は私の両肩をガッと乱暴に掴み、唇に触れる寸前まで顔を近づけた。

 

「――――!?」

 

 ちょっと、なによなによ!

 いきなりキス!? まだ何の準備も、じゃなくて! どうするこのまま足を振り上げて男の急所を蹴り上げるべきか!?

 っていうか、顔近づけられて、すぐにキスって発想が浮かぶって、私は思春期真っ盛りの中学生か!!

 

「もう、大丈夫だからな。赤ジャリ」

 

 あーダメだ! 今日の私なんだか間抜けキャラになってるぞ――――へ?

 

「衛宮の野郎にどんなヒドイ事されたのかはしらねぇが、俺が衛宮をぶっ殺してやるからよ」

 

 そう言った男は、まるでお姫様を助けに来た勇者のような目をしており、私は思わず、

 

「はぁ」

 

 と、曖昧に頷いていた。 

 いやいや、そんなことはどうでも良い。

 それよりも、ぶっ殺すの言動は穏やかじゃない。しかも、その言葉がなんの比喩でもないことを証明するかのように、男の目は怒りと憎悪に満ちていて、このまま士郎に会わせたら本当に殺し合いになりそうだった。

 

「こりゃあ暗示の類か、もし洗脳までいってるとしたら、解くのに難儀しそうだな」

 

 なんてことを言いながら、男は懐に手を突っ込んだ。

 頭に浮かんだのは、某ヤクザ映画。

 出てくるのはドスor拳銃。

 ある意味、究極の二択。

 

「おい、どうかしたのか遠坂」

 

 そして、そこに現れるバカ一人。

 

 ぐわぁー! アンタは何でそう毎回毎回ここぞという絶妙のタイミングで出てくんのよ!

 

「あ、あの! お話なら私が外で―――」

 

 何とか男を遠ざけようとするが、努力空しく、ガソリンとライターはついに出会ってしまった。

 お互いを怪訝な表情で睨みあう二人。

 爆発する確率100%だ。

 

「どちら様ですか?」

 

 トゲのある声で尋ねる士郎。

 

 コラー! 火からガソリンに近づくな!!

功刀(くぬぎ) (ろく)(ろう)だ。――――衛宮を出してくれ」

 

 訂正。

 200%だ。

 男の声音はさっきに比べると幾分か落ち着いているように見えるが、ソレは見せ掛けで、言葉の端々に、お前になんて用は無いんだよ。Fuck! と言わんばかりの殺気が込められていた。

 

 ますます表情を曇らせる士郎。

 導火線は残り3cm。

 もう爆発する寸前だった。

 2、

 い……、

 

――――あれ? ちょっと待ってよ。

 

 衛宮(・・・)を出してくれ。

 

 私はものすごい勘違いをしてないか?

 

「ちょっと待って。士郎あのね―――」

 

 その時、私は確かに見た。

 

 士郎の脇をすり抜ける黒い影。いや、その速さが拳銃の弾に匹敵するならば、もはや影などではなく、立派な弾丸だ。

 それは背中に挿した刀を抜刀するように、後ろに手を回す。するとなぜか首の後ろ、正確には服の中から伸びている白い棒状ものを掴んで、大上段からの勢いそのままに、何の迷いも後悔も無く、一つの目的を遂行するためだけに、その何かを振り下ろした。

 

 スパーン!

 

 惚れ惚れとするほど見事な打撃音が鳴り響き、糸の切れた操り人形のように、男がドサッと地面に倒れた。

 男の額にはクッキリと竹刀の跡。

 

 傍らには、背中のどこかに隠してあったのか、竹刀を持ってみょうちくりんな構えを取る、冬木のトラ(靴下あり)が立っていた。

 

「アリもしない言いがかりを付けて衛宮家に手を出そうだなんて、許さない! 

この私が……虎に代わってお仕置きよ!!」

 

「…………」

「…………」

 

 藤村先生。歳がバレますよ?

 

 

 

 

 

 

 朝の爽快な空気に包まれる公園に、聖杯の汚泥ほど重々しい溜息が溶けていった。

 

「これで三件目」

 

 原因は、今蛍光ペンで線を引いた就職雑誌「Bone Work」。

 

 あの反応じゃ無理っぽいか。

 

 いや、本当におかしいのだ。

 電話をして面接を受けるところまでは良い。問題はいつもその後。

 封印指定を辞め、この街に住み始めて以来まったく仕事が無いから、毎回ビシッとスーツでキメて、戦闘に赴く時ぐらい意気込んでいくのだが――。

 面接が始まると、何故か私と目があった面接官から順番に顔を逸らしていくのだ。決まって全員が、まるでギャングに拳銃を突きつけられているみたいな、恐怖に満ち溢れた表情で。

 何で私の必死の思いが通じないんだろうか。

 ワケが分からない。

 私の顔を……。

 

「――――ハッ」

 

 まさか、私の容姿が他人よりあまりに劣っているから、視線を逸らしたくなるのだろうか。

それならあの怯えきった表情にも納得がいく。

 文字通り見てはいけないものを見たというヤツだ。

 封印指定の任務は見た目より実力。容姿はあまり必要としなかったから気付かなかった。

 

「化粧とか……した方がいいんだろうか」

 

 右手でそっと顔に触れる。

 

 生まれてこのかた、ちゃんと化粧したことなんて無かったからなぁ。

 

 子供の頃はもちろんのこと、執行者になって八年。

 化粧をしたのは任務で数度。しかもその時は任務で富豪のパーティーに紛れ込むために仕方なく。確かドレスも着ていたと思う。長髪のウィッグまで付けて。

 そういえばあの時は、パーティーに来ていた招待客たち、特に男の人が私を見るたびに口をポカンと開けていたな。目は逸らしていなかったけど、顔を真っ赤にしている人はいた。

 私の顔がそんなに珍しかったんだろうか?

 

 あ〜、思い出すとだんだん陰鬱になってきた。

 執行者の頃は、どんな場所にいても、協会からの使者が次の仕事を伝えに来てたっていうのに……。

 

 まるで私の暗い気分に同調するように、お腹の虫が空腹を訴えてきた。

 朝から面接の受け通しで、朝食を摂るのをすっかり忘れていた。

 

「はぁ」

 

 溜息でお腹が満たされるわけもないが、口から出たものは仕方ない。

 

「お隣にご一緒させていただいてもよろしいですか?」

 

 歳を重ねた男性特有の、低くてとてもハスキーな声。

 腹ペコ+二十八連敗(現在進行形)のWパンチでノックアウト寸前の私は、ガックリとうなだれたまま、無言で身体を横にずらした。

 

「浮かない表情ですね。ミス・バゼット」

「――――!?」

 

咄嗟に横を振り向く。しかし、ベンチに腰掛けた相手の顔は、男の広げた英字新聞に遮られてまったく見えなかった。

ぐしゃっと鈍い音を立てて「Bone Work」がひしゃげる。

 

 何故、気付かなかったんだ。

 

 その声には聞き覚えがあった。

 

「貴方が、どうして」

 

 つい口からこぼれた言葉に、新聞の向こうで相手は小さく肩を震わせた。

 

「ははは、しばらくみないうちに平和ボケしたんじゃないですか? 私が来たってことは、仕事の依頼に決まってるじゃないですか」

「いえ、そういうことではなくて、協会の連絡係をしている貴方なら知っているでしょう? 私がすでにあそこを抜けていることは」

「ええ、もちろん。しかし、ここ半年で貴女の立場が変わったように、私にも色々と変化がありましてね。私も今は協会を脱退して、」

 

フリーの仲介屋をさせてもらっています。と、ついさっきまで聞いていたハスキーな声とは真逆の、若々しい声色と共に、顔を覆っていた新聞を下げた。

 

「―――――」

 

 手の中でひしゃげていた「Bone Work」と蛍光ペンが地面に滑り落ちる。

 柔らかく微笑するのは、ヨーロッパ人特有の目鼻立ちのスッキリした二十代半ばの男性で、彼の肩ほどまである色素の薄い金髪が、太陽に薄く反射していた。

 今まで頑なに顔を見せなかった彼があっさりと顔を見せたこと。

ずっと四十代〜五十代ぐらいだと思っていた彼が予想以上に若くて、端整な顔立ちをしていることが驚きに拍車をかけ、身体から洩れる淡い香水の香りが私の思考を麻痺させていた。

私はよっぽどマヌケな顔をしていたのだろう。彼は唇の端を吊り上げて、

 

「いや〜、さっきから見ていたのですが、貴女は本当に良い表情をするようになった」

「さ、さっきからって――――、一体いつ、どこから見てたんですか!?」

 

 いくら戦闘から遠ざかっていても、こちらを監視している視線に気付かないほど、なまっているわけじゃない。頭はいつでも戦闘体勢に切り替えられるようにしていたのに。

 すると彼は人差し指を唇に添え、イタズラっぽい笑みを浮かべてひと言。

 

「企業秘密です」

「……………」

 

 男に疑心をたっぷり練りこんだ視線をぶつける。

 確かに彼がこんなに若かった事には驚きだが、性格は前とぜんぜん変わってない。

 以前の彼もこうして、話をノラリクラリかわしながら、人を弄んでいた。

 いや、今は綺麗な顔をしている分、余計に腹立たしい。

 変わるなら一番変わってほしいところが前のままなんて、

 

やっぱりこの男は気にいらない。

 

 これも変わりそうになかった。

 

「もう、良いです。それで? 依頼があるんでしょ?」

 

 過去の経験から、この男には何を言っても無駄だと分かっているので、とりあえずできるだけ早く終わらせようと話を切り出す。

そんな私の気持ちを知ってか知らずか、男は嬉しそうに目を細めながら話を始めた。

 

「貴女は話が早くて助かる。ではさっそく。……実は○○○にある咲秋町というところに向かってほしいんですよ」

「咲秋町?」

 

 首をかしげる。

 聞いたことの無い地名だ。

 

「ええ。そこにある橘という旧家を調査、及び一般社会全体に害ありと判断したら、当主の暗殺をお願いしたいんです」

 

 矢継ぎ早な説明に私は慌てて首を振る。

 

「す、少し待ってください。両儀とか浅神ような、有名な家ならともかく、そんな名前も聞いたこと無いようなイチ旧家の当主を暗殺?」

「確かにこちら側の世界、正確には魔術界では無名に近いですが、荒々しい世界にはそれなりに顔が利くみたいです」

「――でも」

「貴女の疑問はもっともです。いくら暴力の世界に精通しているとはいえ、全社会に害悪を及ぼす可能性はゼロに近い。そもそもその程度で元封印指定執行者である貴女に声が掛かるはずがない」

 

 そうだ。どんなに社会に害をなす組織でも、被害に遭ってかならず損をする人間ばかりではない。

 私の頭に浮かんだのは、さっき視界の端に映った新聞の記事。

 小さな国の内乱を伝えるものだった。

 戦争では多くの人が命を落とす。兵士、現地の人、様々だ。

 しかし、戦争が起これば、敵に勝つために武器が作られ、湯水のように消費されて、それを補うために工場は毎日フル回転だ。

そうして生産された武器でまた人が死に、葬式屋も儲かるだろう。

 いくら戦争はいけないと大義名分を叫ぼうが、この世には必ずそれで儲かる人間がいる。

 命すらお金に換える世の中で、全社会が損をする出来事なんて無いのだ。

それに、そんな無名の旧家なら私じゃなくても、いくらでも当てがあるだろう。やり方も無数にある。彼らに恨みを持つ組織をたき付けるとか。ヒットマンを雇うのもいい。

 私が出るっていうことは、それなりに――――、

 

「まさか」

 

 息を飲む私を楽しむように、彼は笑顔で首肯した。

 

「そうです。橘家は魔術を使います。しかもとっておきに厄介なヤツを」

「厄介?」

 

 幾度も任務を伝えに来た彼なら、もちろん私の実力を知っている。

 その彼をもってしても私に「厄介だ」と伝えるんだ。ソレはかなり――――、

 瞬間、彼の顔から表情が消えた。そしてそこに残ったのは、裏の世界を生きる人間の顔だけだった。

 

「未確認ですが、恐らく――――魂の流動と加工」

「……流動と加工」

 

 魂というのは、不確かながらも在るとされ、魔術に必要な要因ともされているが、扱いが難しく、これを解明した暁には、魔法使いとして名を連ねることも不可能ではないとされているほどの魔術だ。

 確かにこれほど厄介な魔術は無い。

 でも、これを解明したのは過去に一人居たか居ないかぐらいのはず。

 

「アインツベルンの他に、魂に関する魔術を使える人間が居ると聞いたことがありますが、ソレが」

「いえ、当時その魔術を使っていたのは教会の人間だったらしく、橘家ではありません。

橘家は元々人間専門の殺し屋として、今の人脈や地位を築いた一族です。

その過程で魔術が必要になったのか、魔術に必要だから殺しを生業としていたのかは定かではありませんが、当時、魂を研究している魔術師はいくらでもいました。加えて教会も協会の目にも届きにくい極東の地。

これらの理由が、今回の発見の遅れの原因に繋がったんです」

「……橘がその魔術を使えるという確証は?」

 

 さっきも言ったが、魂に関する魔術はもっとも魔法の領域に近い魔術の一つだ。魂を研究していた魔術師は数え切れないほどいたが、誰も辿り着いていない。

 こんなマトモな書物があるのかすら怪しい島国で、そんな大それた魔術が可能なんだろうか?

 

 すると彼は、

 

「いえ、ありません」

 

 あっさりと首を横に振った。

 

「橘が魂の研究をしているというのも、古い記録にポツンとあっただけですから。それでも、教会が動いています。理由があるとすればそれですね。――あ、後」

 

 ポンと手を叩くと同時に、彼から剣呑な雰囲気が消えた。

その代わり、この後絶対ロクなこと言わないだろうと確信できるほど、とっっっても緩い顔を見せてくれた。そして、

 

「その魔術を使えないっていう確証もありませんしね」

「…………」

 

 あ〜、こめかみが痙攣してるのが分かる。

 もし何でって訊いてくる人がいたら、この場で思いっきり捻りの効いた右ストレートをかましてやる。

 

 しかし、彼は尚も眉毛をハの字に曲げて、

 

「受けますよね? 僕的には求職活動でこのまま連敗を重ねるよりよっぽどいいと思うんですが」

「………………は?」

 

 たっぷり十秒。理解不能だった。

 

「ですから、このまま連敗を重ねるより――」

「ち、ちょちょちょっと待ってください! なんで貴方がそんなことを知ってるんですか?!」

「心外ですねぇ。僕を誰だと思ってるんですか? 仲介屋は情報が命ですよ。依頼者の情報はもちろん。仕事を頼む人のもね」

 

 男が爽やかにウィンクをキめる。

 

「…………」

「ははは。頼みますから硬化ルーン刻んだ手袋はめるの止めてください。――――分かりました。気分を害させたお詫びと言っちゃなんですが、本当のことを一つ教えます」

「本当のこと?」

 

 手袋を絞る手が止まる。

 

「実はですね、これは元々僕のところに来た仕事なんですよ。調査と殲滅。だけどハッキリ言って、僕じゃ無理なんですよ」

 

 なんの負い目も無く、それどころか自信満々に胸さえ張る男に、私は呆れてモノも言えなくなった。

 

「あのね。そういうのは、もうちょっと恥じるように言うものだと思うんですけど?」

「そうは言われましても、僕はどちらかといえば交渉術や情報収集がメインですから。そういう争いごとはちょっと……。もちろん先方には許可は貰っています。成功したらもう一人の方にも同額のお金を払うそうです。――――ダメですか?」

 

 ここで気をつけなくてはならないのが、この男の困った顔は、雨の中の子犬を連想させて、思わず保護欲をそそられるが、それは上っ面だけの話しで、中身は立派なピエロだということだ。

 

 もしかして、この男は今の話をしなかったら、私をタダ働きさせるつもりだったんだろうか?

 

 白々しく困った表情をするピエロに、生暖かい視線を送る。

 

「…………」

 

 ったく、どこまでが本心なんだか。

 

 とりあえず受けるかどうかは後回しにして、今分かっている事実を確認する。

 

「つまり、貴方は私に囮になれと?」

 

 私が橘の家を引っ掻き回して、その間に彼が情報収集をする。

 こういう正体不明の組織を相手にする時は、殲滅うんぬんより敵の情報を集めることの方が重要視される。だから、味方を前線で暴れさせて相手を混乱させ、その間に相手の情報を収集するのは、戦略性を伴う長い戦闘では常套手段だ。

 だけど、その役回りゆえに、陽動役の生存率は極めて低い。

 それはそうだ。陽動は敵の目を惹き付けるから陽動であり、相手の戦力の大半がこちらに向くということだからだ。

 でもまぁ、私もその手の囮に使われたことは何度もあったし、死亡%は幾分かは低くなるだろう。

 

「そうで――――」

「その必要はありません」

 

 リンが“お金があり余っちゃって困ってるのよ〜”と皮肉るぐらい予想外の言動に、私は思わず言いかけた言葉を飲み込んでしまった。

 そんな魔法は天地がひっくり返ってもありえないけど。

「さっきも言った通り、私の得意分野は情報収集。そして貴女の得意分野は荒事(あらごと)

「ですから――」

「私が前線で敵の目を惹きつける? 長い戦闘スパンでは情報収集が重要? 確かにそれも大事でしょう。しかし、前線を犠牲にしなくちゃ情報が集められないのは」

 

 無能がすることですよ。と涼風が吹きそうなぐらい爽やかな笑顔で猛毒を吐いた。

 

「僕が話せることはこれで全部です。今、橘の動きは活発化していますが、それは当主が代替わりした直後だけだけのことでしょうし、すぐに落ち着くと思います。

 ですが問題はその後です。もし、もう一度橘に動きがあるようなら……」

 

動け、ということか。

 

 表情から私が察していると理解したのか、彼はそこから先を口にせず、ベンチから立ち上がると、足元に落ちていた「Bone Work」と、折り畳んだ新聞紙を近くのゴミ箱に放り投げた。ついでに蛍光ペンも拾い上げる。

 

「その時はこちらから連絡します」

 

 二つは綺麗な放物線を描いたが、ゴミ箱のふちに弾かれて、すぐ傍に落下する。

 男は残念そうに微苦笑を浮かべながら、ゴミ箱に近づいていく。

 

「それまでこちらに留まるのも悪くないでしょう。――――ですが貴女は」

 

 腰を折って、拾ったゴミと蛍光ペンをゴミ箱に入れ直す。

 

「…………」

 

 彼がそこから言葉を紡ぐことは無かった。

 ただ無言で、私には表情の消えた彼の顔から、何も読み取ることは出来なかった。

 

「いえ、何でもありません」

「……?」

 

 そしてまた苦笑。

 

「やっぱり貴女はいい顔をするようになった。どうしてもからかいたくなる」

「……それは貴方の悪癖でしょう?」

 

 確信をもってズバリ指摘する。すると彼は、

 

「――――かもしれません」

 

 一瞬だけ変な間を空けて、傷ついたような、嬉しいような複雑な表情で息を漏らした。

その様子からすると、どうやら私は彼に仕返すことが出来たようだ。

 

「それじゃ、僕は仕事の続きがありますんで、ここら辺で失礼させてもらいます」

 

 微風に揺れる金の髪を見送りながら、私はさっきの彼の言いかけたセリフを思い出していた。

 

 彼は一体何が言いたかったんだろう?

 

「あ、そうだ」

 

 何か言い忘れたことがあるのか、足が止まる。そして執行者時代も含め、今までの彼との会話の中で、一番トーンの弾んだ声で、

 

「貴女は化粧なんてしなくても、そのままで十分綺麗ですよ」

「………………………………へ?」

 

 三点リーダー記録更新。

 

 なんて言った? この男は今なんて?

 

 脳裏にはエラーの文字が乱舞する。

 意識は受け入れるなと頑なに拒むが、耐え難い事実は布に水を落としたように脳へと浸透していき、徐々に顔が赤くなっていくのが自覚できた。

 

「やっぱり最初から見てたんじゃないですか!!」

 

 ベンチから乱暴に立ち上がる。

 

「僕は一度も、最初から見てない、なんて言ってませんよ?」

 

 なんて小理屈をのたまわりながら遠ざかっていく背中が“ヤラれたらヤリ返すが基本です”と語っていた。きっと彼の唇は今頃、これ以上ないというほどの充足感に歪んでいるに違いない。

 私はどっと疲れを感じて、ベンチに座りなおす。

 なんか、昔の彼と喋るより疲れる。

 

――――でも、

 

「っというか、いつ私が仕事を請けたのです」

 

 どうやら彼お得意の話術にノせられたようだ。 

 

「……まったく」

 

 本当に喰えない男だ。

 

――――そんなに悪い気はしなかった。

 

 気が抜けたせいか、今まで忘れていたお腹の虫が、再び食べ物を要求してきた。

 

「仕方がありません」

 

 まず頭に浮かんだのは衛宮家。その時食べた料理の味が、からっぽの口の中いっぱいに広がった。

 食べ物は味よりも調理時間。

 そんな考えはどこへやら。

 どうやら何度かのご相伴で、私は料理の味を楽しむということを覚えてしまったようだ。

しかし、そんなことをするのは衛宮家の時だけだし、あそこの料理にはそれだけの価値があるのは確かだ。それに、

 

「まぁ、良いでしょう。仕事が始まれば、しばらくは料理の味なんて楽しめないでしょうから」

 

 私の足は衛宮家へと向いていた。

 

 あの悪魔のような男、功刀 禄朗がいるとも知らず。

 

 

 

 

掲示板       戻る       第二話

_____________________________________


 このたびは、Fate/stay liminality・第一話「虎に代わってお仕置きよ!」をお読みいただき本当にありがとうございます。

 どうでしょう? 読んでくださった読者様が、これを読むために時間を割いたかいがあったと思っていただければ幸いなんですが。

 この作品は他の二作品と連動していて、各作品が影響を与えあって進んでいるのですが、お話自体は一つ一つが独立しているので、他の作品を読んでいなくてもお楽しみいただけます。

 「Liminality」だけを楽しむも良し。「陽月譚」だけを楽しむも良し。それは読者様にお任せいたします。

 しかし、一つ言わせていただくなら、やっぱり三作品とも読んだ方がお楽しみ度は上がります!

 さて「Liminality」の主演はもちろん士郎達なんですが、影の主演はこの方「藤村 大河」その人です。

 次回、いよいよタイガが動き出す! Fate/stay liminality・第二話「若さ短し恋せよタイガ!」をよろしくお願いいたします。